昨日に引き続いて、「ユーザーレスポンスと動的表示品質は変わらない」という記事のつづきを読んで、感想を綴ってみたい。
記事には「何気なく見ていると気付かないかも知れないが、マックの GUI 画面表示の特徴は、状態遷移のアニメーションだけではない。マウスポインターをいつ何処に移動しても、ウインドウを開く時にも、メニューを開閉する時にも、数行にわたるテキストを選択しても、ウインドウの中身をスクロースする時にも、決して画面がちらつかない。今ではほかのウインドウシステムでも当たり前になっているが、これは当時としては画期的な特徴だった。」とある。
また「しかしそうした高品質の表示を優先的に開発することには、当時の CPU 性能を考えると、CPU パワーの無駄遣いではないかと批判される危険性もあったはずだ。それなのに、それをあえて実現したマックの設計者には、それが必要であるという確固たる信念があったに違いない。」と続いている。
私はこれをみて思う。マックの GUI 画面表示を設計した人たちは、実現しようとしている画面について根底から理解していたと思われる。その根底とは紙と筆の発明に通底していて、人間がものを記録し表現してきた文化遺産の研究にあったと思う。それはウインドウシステム上に GUI 画面表示という新たな文化として創造され、そして見事に成功していると思うのである。だから紙にあたる GUI 画面と同時に、筆にあたるマウスが誕生しているのである。
つづく。