吉祥寺を散歩しながら感じ考えた言の葉の綴り
by kojimatak
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天国と地獄の話し
先日友人と話をしていたときのことである。友人は子供のころ地獄の絵をたくさん見せられ、とても怖かった記憶があるが、天国の絵というのはみたことがない、なぜだろうというのであった。
そういえば天国というのはキリスト教でよく聞くから、キリスト教にはあるのではないだろうか。しかし考えたみても、そこはどんなところなのか分からない。そう私がいうと、友人は考えてその考えを私に提示してくれた。
日本では、大昔ひどい天災や人災に苦しんでいたころ、仏教から地獄の思想がもたらされ、この地獄のような現実からどのようにして抜け出すか、その教えもまた仏教からもたらされたといわれている。地獄の思想を持った浄土思想の場合、人は唱えることによって西方浄土に渡ることができるのであり、日本人にはこの仏の住む浄土が天国になるのであろう。
キリスト教世界では、天国に選ばれるためにキリストを信仰するというのが常道であり、最初から神の住む天国が存在していて、キリストの信仰を通じて元居たところに戻るということらしい。キリスト教で地獄が現れるのは最後の審判のときだけであり、死者となってその最後の審判まで待たされていることになるらしいので、この現実世界に地獄は見たり感じたりはしないらしい。
こうなると、どこか似ていて違う。同じ人間なのに育ちによる刷り込みによって、こうもいい加減になるのはなぜだろうか考えてみるといい。
どちらにしても人間同士の殺し合いについては無力であって、神も仏も打つ手は無いのが真相のようである。つまり、キリスト教徒のブッシュがイラク人を殺せと命じ、その逆も然りだからである。
このことはつまり、人間はいつまでたっても世界中の人間が3歳児以下にしか育っていないし、今後将来も4歳児以上になる可能性はないものと思われる。
というのが私の友人の結論のようであった。私には友人に反論する余地は無く、すっかり降参せざるを得なかったのである。
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by kojimatak | 2004-07-05 23:48 | 考えたこと
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