フウの木が文明のシンボルになっていることを知ったのは、「古代日本のルーツ 長江文明の謎」を読んだからである。
「城頭山遺跡からは1000点近い木材が出土している。その材木を米延仁志氏が調べると、80パーセント以上がフウの木であった。フウの木は、中国名風香樹という。マンサク科の落葉高木であり、大きいものになると高さ40メートルにもなる。」
そして現代にもフウの木にまつわる文化や神話が残されていて、それは中国広西壮族自治区の少数民族である苗族の中に、フウの木への崇拝がある、というのである。
私は調布市の神代植物公園でモミジバフウの大木を初めて見た。長いトゲのある奇妙な姿の実をいまでも自宅に飾っている。このフウの木はアメリカ産のフウの木である。
そこで、「フウ 中国」をウエブで検索してみると、
「生きている化石植物「フウ」の話」 という面白いサイトに出会うことになった。
フウの木は、イチョウやメタセコイアのような生きている化石植物であり、日本にもその化石があったというのである。
「フウは新第三紀(2600〜200万年前)の地層から葉の化石がよく見っかることで有名です。埼玉でも川本町の荒川の河原で葉の化石が見っかっています。」
「1990年埼玉県が地盤沈下対策のための観測井(かんそくせい)を春日部市で掘りました。その時採取された地層を使って、花粉化石を調べました。すると、かなり浅い第四紀(200万年〜現在)の地層から、たくさんフウの仲間の花粉化石が発見されたのです。地層は浅いほど新しいですから、今までの常識をくつがえす発見になるかも知れません。」
私はこの記述をみて、想像をたくましくしたのである。
人類が出現して初期活動を始めたころ世界にはフウの木がたくさんあって、フウの木を生活するのに使っていたのではないだろうか。そのころすでに狩猟の民と農耕の民とがあって、巨大な動物とも共存していたのではないだろうか。
狩猟の民はその巨大な動物と戦って食料にし、農耕の民はその巨大な動物とは戦わず犠牲を与えて難を避け農耕を続けていたのではないだろうか。つまり私は、犠牲の原因が解らず密かに探求を続けていたのだが、農耕民は戦わずに巨大な蛇、巨大な恐竜のような巨大な動物からの難を避ける方法として、この犠牲という方法をとらざるを得なかったのではないか、と閃いたのである。
犠牲というのは、現在その意味が解らなくなっていても、祭りとして太古の記憶を再現して伝えようとしているのではないだろうか。
私の夢のような話しはここまでで、今日は終わることにしたい。