吉祥寺を散歩しながら感じ考えた言の葉の綴り
by kojimatak
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
長江文明を追って三江流域からメコン圏に至る
「古代日本のルーツ 長江文明」安田喜憲の中の「なぜ長江文明が滅んだのか」を読んでいて、「漢民族に押されていく三苗の悲しみを象徴するのが、詩人の屈原だろう。屈原は楚の人であり、苗族の出身である。屈原の詩は、物悲しく、滅びを予感させるかのようだ。」というところが気にかかった。屈原が苗族の出身で、長江文明から生まれ出てきた人であることを初めて知ったからである。
私は「屈原 苗族」をキーワードにしてウエブ検索をしてみた。すると出てきた中に 「メコン・仙人たより」 というのがあり、「メコン、南、苗族、クメール、招魂、屈原、楚辞、江口久雄、白河静」というキーワードが現れてきたのである。現れてきたキーワードは多すぎるので、先ずメコンを探って見ることにした。
キーワード「メコン」で現れてきたのは、 「メコンブラザ(案内入り口)」 である。早速入って見ると、 「メコンブラウザ・正版」 というのがあるのでさらに深く入ってみた。ここでみたものの中に「共飲一江水」という文字があった。その説明は、「『共飲一江水』とは、1961年、中国・周恩来総理が、ビルマを訪問した折、同行の陳毅元帥が、ビルマ友人に送る詩として詠んだ詩句の一節である。河の上流と下流にある両国の関係の深さを歌ったものであるが、現在の国家、民族など異質なものの間で共生関係を作ろうというこの地域の在り方を表すのに、適切な句ではなかろうか?」となっている。
「共飲一江水」のなかの江は中国では長江を表しているというが、メコン川も中国では江なのであろうか。メコン川の上流である雲南省には、中国で最も大きな川の長江、東南アジアを縦走するメコン川(瀾滄江)、ミャンマーに流れるサルウィン川がそろって流れている。そしてこの、わずか60数キロあまりの距離間に寄せ合うエリアを 三江流域 と呼び、2003年 世界遺産 に登録されている。
「古代日本のルーツ 長江文明」のつづきであるが、長江文明をになった人々が遥か長江の上流に生き延び、更にメコンの上流から下流に下っていったのであろうか。「稲作漁撈民」たちの新世界を求めて辿った遥かなる江の旅を思うと、私は改めて、人間の底知れぬ素晴らしさに深い敬意を抱くのである。
[PR]
by kojimatak | 2004-07-29 22:53 | 思ったこと
<< この暑さでルーターがダウン度々 フウの木をめぐって探求の旅に出る >>