今朝の朝日新聞9面の「みつめる 伝える 街角の戦跡」に、大きく「地下工場の扉を開けた 岡山・倉敷」とあるのを見た。
キーワードに「強制連行・労働」とあって「兵力増強で深刻な労働力不足になった日本は、朝鮮人や中国人を連行、動員し、炭坑、土木建設現場、軍需工場などで過酷な労働を強いた。暴力で無理やり連れてこられた人もいた。日本は91、92年、日本へ来た約10万八千人分の名簿を韓国の求めに応じて提出。国際労働機関(ILO)は99年、日本に対し、被害者個人に対策をとるよう求めている。」とある。
書かれている話しは、「戦争末期、近くの三菱重工業水島航空機製作所が空襲を避けるためにつくった地下飛行機工場だ。トンネルを掘るために、千人を超える朝鮮人が動員されたといわれる。岩が崩れて、命を落とした人もいる。」と始まり、「光を当てたのは、86年度から始まった県立倉敷中央高校社会問題研究部の調査だった。女子だけの数人の部員は、強制連行や労働の実態を知る在日韓国・朝鮮人を訪ね、証言を集めた。」と続く。
戦争においては勝つために国家の名において超法規的なことが行われてきた。このとは現在進行中の米国グァンタナモの捕虜収容所問題、北朝鮮の拉致問題を見ても、日本が朝鮮人や中国人を連行し動員し労働を強いたのと同じく、戦争の名のもとに戦争遂行国では合法的と考えられているのである。
三菱重工業水島航空機製作所は戦後どのようになっていったのか、ウエブ検索をしてみた。すると、昭和16年(1941)に
三菱重工業航空機製作所が水島に誘致 されたことに始まり、現在、平成16年(2004)には
三菱自動車水島製作所 になっていることを知った。
かって三菱重工業水島航空機製作所があり、現在三菱自動車水島製作所がある岡山県倉敷市とはどのようなところなのだろうか、ウエブ検索してみると面白いサイトを見つけることができた。
倉敷観光コンベンションビューロー に倉敷の
主要年表 がある。三菱自動車のサイトにも
三菱自動車の歩み があるが、まだ2003年までで2004年は書き込まれてなく、現在進行中の
三菱自動車リコール問題 についての記述はどうなるのであろうか。
昭和20年6月22日(1945)に水島大空襲を受けており、ウエブ検索中に見つけた
「青森空襲を記録する会」 の中には
「大東亞戰争開始以来の一般被害の概況」 のページがある。
県立倉敷中央高校社会問題研究部 についてはまだ制作途中のホームページを見るとひととおりのことはわかる。その中の
「亀島山地下工場」 に強制連行や労働の実態に光を当てた調査の概要が載っている。
三菱重工業水島航空機製作所に関連して生まれ、現在も存在しているものに
三菱水島病院 、
ニシナ百貨店 などがある。
そして水島臨港工業地帯は第二次大戦とともに興り、現在なお活発な活動を続けているのである。