吉祥寺を散歩しながら感じ考えた言の葉の綴り
by kojimatak
2004年 07月 09日 ( 1 )
牛食い
今朝、寝ていたあいだに思い当たったことがある。いつも疑問に思っていたことだが、牛肉を常食にしている人たちが、クジラを食べる人に、なぜ食ってかかっているのだろうか、という疑問のことである。
もしかして、牛は飼育しているのだから麦やトウモロコシと同じだ、と思っているのではないだろうか、パンと同じなのだ、そう思い当たったのである。すると、いろいろなことも見えてきた気がした。
牛の肉を取った残りを全部釜に入れて油をとり出し、残った残滓を粉末状にして、牛の飼料にしている、その感覚のことである。
つまり、その感覚は、農業で栽培植物の残滓を肥料に使っているのと全く同じ感覚なのだろう。この点で飼育動物と栽培植物を同じように人間が扱っているだけで、とりたて奇異なことをしているわけではないのだ、という感覚なのかもしれない。
ものの本を読んで、牧畜民や遊牧民といわれている動物とともに生活していた人たちは、古い時代から動物を育ててきたとは知っていたが、その動物そのものを食べるためではなかったと思っていたのである。
食べるためだけの動物としては、古代中国から現在まで中国の豚がそうであるが、豚肉をとった後の残滓をまた豚に食べさせて、その豚をまた食べるということは、不覚にも私は知らない。
いま牛食いたちの住んでいるところで酷いことが起こっているが、たぶん牛食いたちの感覚が変わらなければこの醜いことと共存せざるを得ないだろうし、たぶんそうなるほかないと思う。
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by kojimatak | 2004-07-09 09:56 | 思ったこと