吉祥寺を散歩しながら感じ考えた言の葉の綴り
by kojimatak
2004年 07月 27日 ( 1 )
人はなぜ殺し合うか
今朝の朝日新聞27面の囲み記事見出しに「宇宙の底で 柳沢桂子」というのがあった。この中で、人間の気質の偏向があると、ムートンらの説を引いて「内集団・外集団偏向」という気質的な固定観念を紹介している。
集団のメンバー同士特別な感情を持ち、外部の人間に対して攻撃的になるというものである。イラクの戦争で思い当たることがあるであろうという。そして生命科学者である柳沢桂子の結論は、「戦争は本能であるという考え方は科学的でない」とはいえないと思う、また「戦争について、DNA レベルまでさかのぼって多方面から深く研究することが必要であろう」、というものである。
思えば、釈尊でさえ釈迦族の滅亡を止めることは出来なかった。調べてみると、この釈迦族滅亡の際にとった釈迦族の行動はアヒンサー(不殺生)と呼ばれ、相手の生命を奪わず、自身の生存を望まず、釈尊と釈尊の一子を残して完全に滅亡した、とある。
釈尊が与えたアヒンサーは、無抵抗とか抵抗を越えて、あらゆる生物を殺したり傷つけたりしないだけでなく、時として自分の生命を相手に与えて顧みない、悔いないという積極的な慈悲心によっているという。
知恵を持つ人間は、こうしてアヒンサーの実行を通じてしか、戦争を回避することは出来ないのだ、と私は思った。つまり殺生に対して殺生で応ずれば、殺生の輪廻から抜けることは絶対に出来ないと釈尊はいっているのである。
だがアヒンサーを実行しても殺傷を止めることは出来ない。それでもアヒンサーを自ら実行することにしか人類の将来の生存の望みはないのではないだろうか。
日本は今、自らの不殺生の道を捨て、他人の殺生の論理の道を選ぼうとしている。
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by kojimatak | 2004-07-27 18:38 | 考えたこと