吉祥寺を散歩しながら感じ考えた言の葉の綴り
by kojimatak
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インフォ・マイカに大いに期待する
今朝の朝日新聞2面の囲み記事に「NTT新メモリー、映画の街へ」とあった。「NTTは独自開発した超小型の新記憶媒体「インフォ・マイカ」を映画産業の一大拠点である米ハリウッドに本格的に売り込みはじめた。」という記事である。
「「インフォ・マイカ」は、光ファイバー技術と、光を当てて模様を浮かび上がらせるホログラム原理を組み合わせた切手大の樹脂製メモリー。2・5センチ四方で、記憶容量は1ギガバイト。小型画面での再生なら約3時間の映画が記録できる。」また、「読み取り装置は手の平サイズで済む。」とのことである。
その価格は、「切手大の記憶媒体であるフラッシュメモリーは1ギガで数万円だが、インフォ・マイカは1枚100〜200円でつくれる。」そうである。
私は、この「インフォ・マイカ」がパソコンの記憶媒体にも早く使われるようになって欲しいと思う。近ごろにない嬉しい情報である。大いに期待したい。
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by kojimatak | 2004-07-11 22:41 | 思ったこと
むくげの花
散歩の途中で木槿(むくげ)の花を見るようになった。いろいろな色と形の花があって楽しい。
ムクゲはお隣韓国の国花だということを聞いて久しいが、純白の無垢の花がそれにふさわしいと思った。街で見かける女性のチマ・チョゴリの上着の、その色の白さが目に浮かぶからだ。チマ・チョゴリにはいろいろな色のものがあって、それぞれ深い意味があるらしいが、なぜか私には、女学生が着ている純白の短い上着しか目に浮かんでこない。
むかしあるところの園芸試験場を見学していたとき、場内のいたるところに木槿(むくげ)の花が咲いているのを見て、気が付いたことがあった。一重の花には花の真ん中に長い蕊(シベ)が立っていて、なかにはロウソク立ての棒のように目立つものもある。しかし、八重咲きの花は花全体がたくさんの花弁だけになっていて、この蕊(シベ)が全く見当たらない。
気になって場内の花を見て歩くうちに、八重咲きの花弁はこの蕊(シベ)が変化しているらしいことに気が付いたのである。
一重の花は五弁の花で、その真ん中にしっかりした蕊(シベ)があるが、花弁の数が増えている花は、明らかにその蕊(シベ)から花びらが出てきている。つまり蕊(シベ)が花びらに変化しているのが見て取れたのである。場内には、花の中の蕊(シベ)の高さが少し減って花弁が増えているものから、蕊(シベ)が半分くらい残っているもの、もう痕跡しかないものまで、見ることができたのである。
散歩の途中でハイビスカスの花も見かける。ムクゲとハイビスカスとは同じ仲間だという。同じ場所で咲かせているところは滅多にないから並べて見ることはできないが、撮った写真を見るかぎり、二つの花は区別がつかないほどよく似ている。しいていえば、ハイビスカスの方が少し堅くて造花の花のようである。ハイビスカスには黄色い色の花をよく見かけるが、ムクゲには見たことがないように思う。
木槿(むくげ)の花が咲き乱れるのはこれからである。
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by kojimatak | 2004-07-10 10:24 | 思ったこと
牛食い
今朝、寝ていたあいだに思い当たったことがある。いつも疑問に思っていたことだが、牛肉を常食にしている人たちが、クジラを食べる人に、なぜ食ってかかっているのだろうか、という疑問のことである。
もしかして、牛は飼育しているのだから麦やトウモロコシと同じだ、と思っているのではないだろうか、パンと同じなのだ、そう思い当たったのである。すると、いろいろなことも見えてきた気がした。
牛の肉を取った残りを全部釜に入れて油をとり出し、残った残滓を粉末状にして、牛の飼料にしている、その感覚のことである。
つまり、その感覚は、農業で栽培植物の残滓を肥料に使っているのと全く同じ感覚なのだろう。この点で飼育動物と栽培植物を同じように人間が扱っているだけで、とりたて奇異なことをしているわけではないのだ、という感覚なのかもしれない。
ものの本を読んで、牧畜民や遊牧民といわれている動物とともに生活していた人たちは、古い時代から動物を育ててきたとは知っていたが、その動物そのものを食べるためではなかったと思っていたのである。
食べるためだけの動物としては、古代中国から現在まで中国の豚がそうであるが、豚肉をとった後の残滓をまた豚に食べさせて、その豚をまた食べるということは、不覚にも私は知らない。
いま牛食いたちの住んでいるところで酷いことが起こっているが、たぶん牛食いたちの感覚が変わらなければこの醜いことと共存せざるを得ないだろうし、たぶんそうなるほかないと思う。
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by kojimatak | 2004-07-09 09:56 | 思ったこと
吉祥寺東保育園児の散歩
今日は朝からひどく暑い。先程は、ちょっと外にでて帰ってきただけで、もう汗が噴き出したほどである。
ふと北の窓から外を眺めると、久しぶりに吉祥寺東保育園児たちの乗ったピンク色の「かご車」が見えた。70メートルくらい先の道路の木陰を、保育園の先生がゆっくりと押しながら進んでいる。その先には歩いている保育園児も一人いて、先生が付き添っている。「かご車」の中には4人の保育園児が立って腕を外に出し、楽しそうである。
保育園児達はいろいろな帽子を被っていて1〜2才だろうか、ときには「かご車」を降りて歩いたり、空き地で遊んでいることもある。だいぶ前になるが、空き地にタンポポ綿毛の丸い玉がたくさんあったころ、園児たちが綿毛を飛ばしながら歓声を上げていたのを思い出す。
いつの時代にも、その瞬間を捕らえてみると、赤ちゃんから老人まで当たり前のように揃っている。自分の年を忘れてしまって、子供っていつもいるんだなと訳もなく感動したりする。毎年みている「かご車」の中の園児たちは、毎年人が入れ替わっていることをそのとき忘れているのだ。
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by kojimatak | 2004-07-08 11:31 | 思ったこと
五日市街道の松庵稲荷付近の直売所
先日、吉祥寺本宿から五日市街道を通って西荻窪駅方面に散歩に出たとき、いつもと違って道の南側を歩くことにした。いつも五日市街道の北側を通っていて、道の反対側で気になったところがあったからである。
農家の門が直売所になっているように見えることと、資生堂ビルの窓辺にある大きな百合の花のことである。
やはり農家の門は直売所で、門一杯にガラス窓付きの販売台が作られ、小さなガラス戸を開けると、置かれている農産物を手にすることができる。右の端に料金入れが置かれている。販売台の真ん中に葉書き大の黄色いカードがあるので、窓を空けてとりだしてみた。
カードには、「ホームページ作りました!ブログで鶏と私の日記ホームページを作りました。ぜひご覧ください。窪田幸子」とあったので、持ち帰ってみることにした。
隣の資生堂ビルにいってみると、窓辺の大きな百合の花は時期が過ぎて少し散りかかってしまっている。窓越しに、室内にはかなり人がいる気配がしていた。花の写真は撮らずに、ここから松庵稲荷の森の写真を撮る。
ホームページにいってみた。
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東京の田舎暮らし−鶏といっしょ
東京杉並で100羽の鶏達と生活中。鶏日記を中心に、私のつぶやき、畑の風景、直売情報などなど...      プロファイル
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五日市街道沿いには、もうとっくに直売所のある農家は無くなっていると思っていた。五日市街道から外れたところで、私は幾つかの直売所を利用したことがあるが、こんな近くにあるとは素晴らしいなと思う。
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by kojimatak | 2004-07-07 13:50 | 思ったこと
コンクリート構造物の寿命を計る
今朝の朝日新聞34面に「コンクリート劣化、赤外線で診断」という囲み記事が載っていて、コンクリート構造物の劣化を発見する簡便な方法が開発されたと伝えている。現場で瞬時に解析できるので、補修や補強が必要な構造物が増えていく時代に役立つ、としているのを読んでいろいろなことを思い出した。
吉祥寺駅周辺の JR 高架線はコンクリート構造物で、最近コンクリートの柱を鋼板で覆う作業が進んでいる。高架線を長大なコンクリートの橋と考えると、その橋脚にあたる脚が鋼鉄の外皮を被った柱になっていっているのである。さらに橋の欄干にあたる部分にも修理の手が伸びてきている。この構造物が造られた昭和40年代には、コンクリート構造物の寿命は100年といわれていたが、現在までの経過年数は40年台に入っている。
かって神奈川県津久井地方で、中央高速道路の建設中の作業現場を見る機会があったが、当時は建設業者自体がコンクリートについてまだよく理解していない状況であったので、設計監督にあたる部署は大変な苦労をしていた。このような中から生まれてきた高速道路の躯体も、もう補修や補強を必要とする時期に近づいてきている。
こういうコンクリート劣化の時代に入っているのだから、東京大生産技術研究所が5日発表した新手法は、時宜をえたもので大いに期待したいと思う。
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by kojimatak | 2004-07-06 12:04 | 思ったこと
天国と地獄の話し
先日友人と話をしていたときのことである。友人は子供のころ地獄の絵をたくさん見せられ、とても怖かった記憶があるが、天国の絵というのはみたことがない、なぜだろうというのであった。
そういえば天国というのはキリスト教でよく聞くから、キリスト教にはあるのではないだろうか。しかし考えたみても、そこはどんなところなのか分からない。そう私がいうと、友人は考えてその考えを私に提示してくれた。
日本では、大昔ひどい天災や人災に苦しんでいたころ、仏教から地獄の思想がもたらされ、この地獄のような現実からどのようにして抜け出すか、その教えもまた仏教からもたらされたといわれている。地獄の思想を持った浄土思想の場合、人は唱えることによって西方浄土に渡ることができるのであり、日本人にはこの仏の住む浄土が天国になるのであろう。
キリスト教世界では、天国に選ばれるためにキリストを信仰するというのが常道であり、最初から神の住む天国が存在していて、キリストの信仰を通じて元居たところに戻るということらしい。キリスト教で地獄が現れるのは最後の審判のときだけであり、死者となってその最後の審判まで待たされていることになるらしいので、この現実世界に地獄は見たり感じたりはしないらしい。
こうなると、どこか似ていて違う。同じ人間なのに育ちによる刷り込みによって、こうもいい加減になるのはなぜだろうか考えてみるといい。
どちらにしても人間同士の殺し合いについては無力であって、神も仏も打つ手は無いのが真相のようである。つまり、キリスト教徒のブッシュがイラク人を殺せと命じ、その逆も然りだからである。
このことはつまり、人間はいつまでたっても世界中の人間が3歳児以下にしか育っていないし、今後将来も4歳児以上になる可能性はないものと思われる。
というのが私の友人の結論のようであった。私には友人に反論する余地は無く、すっかり降参せざるを得なかったのである。
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by kojimatak | 2004-07-05 23:48 | 考えたこと
吉祥寺の公園通りと井の頭通り
最近、三鷹市の「井の頭公園通り」を知った。そして今日、吉祥寺にも「公園通り」というのがあったことを思い出し、改めて地図を確かめると「吉祥寺通り」となっている。
昔は確か「公園通り」といったはずだが、「水道通り」が「井の頭通り」になったから替えたんだと思われる。ただの「公園通り」では紛らわしいかもしれない。
そういえば、「ひとくいがわ」というのが無くなって、「玉川上水」になったと聞いたとき、「ひとくいがわ」というのは俗称だったと改めて教えられたのを思い出した。
道にもともと名前があっての俗称か、もともと名前は無いが俗称だけがあったのか、そこが分からない。
都会になるということは、何者もスクラップアンドビルドされていく、ということと同義なのかもしれない。それも早い速度で進んでいるようである。
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by kojimatak | 2004-07-04 22:46 | 思ったこと
井の頭弁財天社の参道石段の上にある紫灯籠
今日散歩で井の頭弁財天社に行った。天気が良く、黒門の黒い鳥居をくぐって参道を歩いていくと、参道が左に折れて急な石段が現れる。その石段の降り口に左右一対の石灯籠がある。そこから石段の下を覗くと赤塗りの社殿が美しかった。
この一対の石灯籠は紫灯籠と呼ばれていて、江戸時代、京むらさきに対抗できる染め草「江戸むらさき」によって江戸の染め物産業が栄え、そのとき使用した水が井の頭池の水であったことから、江戸の染め物屋が寄進したものだといわれている。
染め草「江戸むらさき」は、むらさき草の根から作られる。
むらさき草は武蔵野市や三鷹市の学校の徽章や校歌、橋の名前などに使われている。むかし武蔵野の原にはたくさん自生していたといわれているが、今は見ることも出来ないし、武蔵野・三鷹の市民のほとんどはそれを知らない。
幻のむらさき草である。ちなみに、むらさき草の花の色は白である。
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by kojimatak | 2004-07-03 22:07 | 思ったこと
吉祥寺駅北口の十一小路にまつわる話し
女子大通りが吉祥寺通りに突き当たる手前、東町交番との間に北側に曲がる十一小路がある。十一小路を北上すると法政大学第一中・高等学校運動場にでる。
この十一小路の東側に東十一小路、西側に西十一小路が平行に走っている。北限は武蔵野市と杉並区の境の道になる。
この境を走る道は、東に行くと西荻窪駅の南を通って荻窪駅の南にでて更に続いている。西に行くと千川上水に沿って五日市街道に繋がっている。
さて、先日遭った古い友達の話によると、この十一小路というのは十一番目の道というのではなく、士の道ということなのだそうである。かれの小学校の同級生がそう話してくれたというのだ。昔この十一小路あたりには、中将、大将などの偉い軍人達が住んでいて、そこの子供の話などは”昨日東条さんが来られた”などというのが普段の話しだったそうだ、というのである。そんなことから十一小路と名付けたというのだが、私ははじめて聞いた気がする。
小路はこの他に宮本小路などがあって、懐かしい響きを感じるのは私だけではないらしい。
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by kojimatak | 2004-07-02 19:49 | 思ったこと